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2011/12/20

リスクと生活の折り合い

 俺は楽観というより、適切にリスクを見積もるようにと意識しているつもりかな。
実際、放射性物質の拡散は深刻だし、特に陸上のみならず、海洋における生物濃縮については、今後は注視する必要があると思っている。陸上の穀物や野菜にくらべ計測も難しいし、飛散地域の特定も困難。海流の影響や食物連鎖による海産物への蓄積は今後の調査を待たないとね。

 不安を軽減できるかどうかはわからないけど、いくつかアドバイスするとしたら、ある物事を類推・判断するには、「帰納法」と「演繹法」という二つの思考手段が強力な武器になるんだけど、得てして人間は、帰納法に重きをおいてしまうんだ。

 帰納法というのは、経験という情報をから結果を導く方法で、例えば「今朝は東から太陽が登ったし、昨日も一昨日も、その前も、去年も東から太陽が昇った」だから、「明日も東から太陽が昇るだろう。」と結論するやり方だね。

「太陽が東から昇る」という事象なら問題は簡単だけど、放射線の健康被害問題なんかを判断するには少し注意しなくてはならない。

 帰納法を用いる上で最大の敵は「確証バイアス」(人は先入観に合致する情報のみを抽出して、持論の補強に使う)ってやつなんだ。これは俺自身もよく陥るので、帰納的に物事を判断しようとするシーンに迫られた時は、まず、入ってきた情報にバイアスがかかっていないか?というところを整理するようにしている。

 例えば、ちょっと前「子供が鼻血を出したのは放射能のせいだ!」みたいなツイットに溢れたと思うけど、これが最たる例だよね。日本人の多くは広島の記憶によって、被爆で白血病になったら鼻血が出るという先入観があって、我が子が鼻血を出したら思考をショートカットさせて「これは被曝の影響じゃないか?」と呟いてしまう。そのつぶやきを見ることによって、普段子供の鼻血なんてあまり意識していなかった親御さんも「私の娘も鼻血を・・・」とつぶやき、TL上に鼻血不安が渦巻いてしまったんだ。

 放射性物質による健康被害のツイットなんかは、ツイッターというメディアの性質(「日常の自身に起こった些細な出来事の報告」)上、そうした連鎖が簡単に生じやすい。
 本来の手順としては、一定規模の母集団で、子供の鼻血は、そもそもどのぐらいの頻度で生じるものなのかという事を把握して、その上で、事故後、鼻血の頻度がどのくらい増えたのかというのを考えないとダメだよね。
 だから、この場合の「不特定の個々人の鼻血が出た報告」は、帰納の為の情報としては、判断のための情報としては無価値。飲み屋のカウンターで隣のオジサンが「友達の話によると、冬のススキノの女性は、寒くてやることがないから、夜誘えば直ぐにラブホテルに連れて行けるんだって!」と酔いどれで呟く情報と同じようなもんかな。そうした、「バイアスの有無を判断するフィルター」を通すと、ツイッターなんかの眉唾のつぶやきの多くは、本来悩まされる必要のない情報なんだということがわかるんじゃないかな。

 んで、帰納法がなかなか上手くいかない時はどうしたらいいんだろう?ということになるけど、ここで登場するのが「演繹」ってやつ。

 演繹っつうのは、所謂「三段論法」みたいな考え方だね。鼻血の例だと「放射線によって鼻血が出る機序(仕組み)ってどういう風になっているのか?」というのを考える。
鼻血が出やすくなるには、骨髄の造血機能が犯されて、血中の血小板が減少し、出血が止りづらくなるって機序が必要になる。

そうした類推をするときは、急性被爆によって、骨髄が冒される為の線量のエネルギー(何(ギガ)ベクレル?)ってどのくらい必要なのか。
 
 血中の血小板って、普段はどの程度の量があって、造血機能に障害が起きたときは、出血か生じる程度まで血小板が減少するまでには、どのくらいの時間が要するモノなのか。

 血小板が減少した時、他に生じる症状はないのか?
関東で急性被爆で鼻血が出るくらいの線量エネルギーを浴びるようなら、原発内の作業員が浴びている線量と比較して、そのレベルは矛盾していないか?

 なんて考えてゆけば良いと思う。

 こういうのは、いちいち調べて行かないとダメなので、ちょっと手間がかかるけれども、キチンとした判断をしようと思えば、避けられない手間なんだよね。

 健康被害について、適切にリスクを見積もろうとした場合、こんな演繹法を用いた判断が威力を発揮すると思うよ。残念ながらツイッターなんかの健康被害情報から、帰納的な判断を求めると、トンチンカンな方向に行ってしまうことが多いみたい。

 あと、もう一つの考え方は、リスクの分析というより、人生観に係わってくることなのでアドバイスにはならないと思うけど、俺のスタンスを記しておこうかな。

 単純にいうと、被曝によって健康被害リスク上がったとしても、汚染されたといわれる地域コミュニティーで、従来のように生活してゆきたいという価値観を持つことを、他人に否定されるべきではないというのが、リベラリスト気取りの俺のスタンスなんだ。

 汚染地域では、今後疫学的調査によって一定割合で将来健康被害のリスクが高くなる事実が判明するかもしれないけど、そのリスクと、自分が求めるQOL(quality of life)とをどう考えて行くのかは、個々人の判断。
例えばオーストラリアの豊かな自然の中でで素晴らしい生活を送ることができる反面、紫外線での皮膚ガンの発症リスクが10万人あたり800人と、日本の2~3人/10万人に比べて圧倒的に高い。放射線のガン発症率からいうと、これは10万人あたり0.5%の発がん率の増加(500人の発がん)と実証されている、放射線100mSvの積算量以上のリスクに相当する。

 だからといって、オーストラリアを離れるべきだ!と言ったら、「大きなお世話だ!」って言われるよね。笑

 生活するということは、常に何かしらのリスクに晒されてゆくという事に他ならないし。その中で、個人や家庭でリスクを見積もりながら、目指すべき豊かで幸せな生活という事をバランスさせてゆく事だと思っている。
その判断においては、適切なリスク分析が必要で、それには疫学的(統計的)に判断する能力と、簡単な生物学的な知識が必要になってくるのだと思う。

 事故前はそれほど必要とされる生活シーンはなかったのだけど、起こっちまったものはしょうがない。
現実と向かい合って、想定されるリスクと、求める充実した生活を、どこかで折り合いをつけてゆかにゃならん。

 悲しいけど、これ現実なのよね…。(スレッガー

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コメント

It is good that people are able to get the home loans moreover, it opens up new possibilities.

投稿: MuellerMELISA19 | 2012/03/21 09:20

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