旅行・地域

2011/01/18

冬山初体験 -天狗岳と西天狗岳-

 土日で、北八ヶ岳は天狗岳に登ってきました。一般的な道産子にとって、冬山とは滑り降りるものであって、登るものなどでは決してないのだが、10月に富士山登ったことによって、何となくカッコイイ冬山にも登りたいなどと、これまた軽薄な動機で。(苦笑

 素人が孤高の人のイメージに憧れて、ソロで登るのは単に自殺行為なので、前回富士山に一緒に登った山男2人と、さらに同じく遊び仲間で山に登る中年2人を加えて、総勢オッサン5人のパーティーで新年会をかねて山行してもらうことに。
 富士登山の時は、普段履きのDannerのブーツで登ったのですが、おかげで両足ともコテンパンに傷めつけられてしまい、しばらく日常生活に支障がでるほどでした。今回目指す天狗岳は、山頂ではマイナス20度以下になるとのことなので、大枚はたいて、ボリエールなるスペイン製の登山ブーツと、下山時に膝をかばうストックを二本をおごることにしました。

 この冬一番の寒気が本州を覆うとの天気予報に、内心ビビりながらも、レンタカーで一路、茅野の渋の湯まで。粉雪舞う登山口に駐車し、いよいよ山道に入ってゆく。今回は冬山デビューの私のヘタレレベルに合わせてもらい、ヒュッテ泊の行程ということもあり、背負う荷物も少なく、足取りも軽く林間を進めました。

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 キシキシと雪を踏む音しか聞こえない、氷雪のテーマパークのような景色の中に分け入るのは、まさに道産子の原風景。前日までの体調不良もどこ吹く風、(おそらく)足手まといになることもなく、3時間ほどで標高2,400メートルの黒百合ヒュッテに無事到着。意外だったのは、この時点で氷点下15度位なのだが、登ってる最中は汗ばむということ。

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 早速、中年5人組で酒盛りを開始。酸素分圧が低いせいか、ことのほか酔いの周りも早いよう。周囲の冷ややかな目も気にせず、オッサントーク炸裂。イケメン中年Tだけは、最近できた素敵な彼女がどうにもこうにも恋しいらしく、常に気もそぞろな様子。せっせとラブメールを打っては、ほとんど電波の入らない山小屋の中を、携帯電話を高く掲げ、アチラコチラと彷徨い、必至に送信ボタンを連打している。その姿を肴に、「愛って素晴らしいね」などと冷やかしながら、シェラカップでヘロヘロと一升を空けたところで、8時の消灯タイム。

 こんなに早い時間に寝付けるわけがないと思いつつ、大部屋の布団に潜り込んだ途端に、あっさり気を失う。気がついた時は既に朝5時で、もう出発の用意をせにゃならん。手早く朝食を済ませたのち、初めてのアイゼンの装着の仕方にまごつきながらも、何とか準備を整える。

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 前夜の天気予報では大雪警報とのことで、吹雪を覚悟していたものの、2,400メートルでは重い雲の上に出ていたらしく、気温は氷点下20度と肺が痛いほど厳しいものの、朝焼けを拝み、いよいよ山頂を目指します。

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 しばらくは昨日と同じような林間を進みますが、その後エッチラオッチラ岩稜を登ってゆくと、漸く稜線に出る。ここに来てはじめて、写真でみる冬山登山ぽい景観に変わってくる。景色がナルシシズムをくすぐり、否が応にも盛り上がってくる。生来、お調子者に出来ているので、アイゼンを引っ掛けて崖に落ちないようにと自重しつつ、2時間ほど踏ん張って、漸く東天狗岳に登頂!皆で握手して記念撮影など。

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 天狗岳には、すぐ隣に西天狗岳があるのですが、西天狗岳こそ2,645メートルと北八ヶ岳の最高峰とのこと。天候もそれほど悪くなく、体力もまだ余裕があったので、そのまま西天狗岳にも登ることに。西天狗岳は、その日、まだ誰も登っていないらしく、昨晩から降り続いた新雪をかき分けて登ります。この新雪をかき分けて道を作る作業をラッセルというのですが、一番若手の織田無道似のS君が、ものすごい馬力で切り拓いてくれます。私はその道をトレースさせてもらうのですが、それでも、そろそろ息がアガリかかります。年末年始で7kgも太った自分を呪い、ピッケルをふるって、雪にもまれながらも何とか登頂成功。

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 いやー絶景ですね。本当は山頂でコーヒーでも沸かしてなどと、悠長なことを想像していたのですが、やはり山頂は風も強く、気温もマイナス25度と、突っ立ているとすぐに凍えかけます。かじかむ手でタバコに火をつけて一息ついただけで、すぐに下山開始。下山はおニューのブーツのおかげか、至って快調。山小屋に預けていた寝袋や重いものをピックアップして、渋の湯まで一気に下ります。富士の下山で四苦八苦だったのが、嘘のよう。休憩することもなく、2時間弱で麓まで戻れました。

 1メートル登るのにヒーヒー喘いで、800メートル墜ちるのは超特急。なんか、こういう人生の縮図みたいな所も登山の魅力かも、などと柄にもないことに思いを馳せつつ温泉につかり、ようやく生き返りました。

 おかげさまで、楽チンルートとはいえ、なんとか冬山デビューを果たせました。んで、手元に残るは、今回の為に購入した登山靴。うーん、もう少し償却してやらないと勿体無い。本来、こんな動機じゃいけないのだろうが、エクストリームは無理でも、節制して少し体重落としてから、他の山頂にも立ってみたいかも...。いや、本当は脱俗する時間を作りたくなってるのかな…。

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(photo by mori)

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2009/05/18

燕三条

燕三条
燕三条
洋食器の町だっつうのは、よくわかった。
しかし、駅前に時間をつぶす場所が一切無い…。

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2009/05/07

ワインディングロード

日があるうちに、海辺の道を走るときは、いつもこの曲が頭の中に鳴ります。

日が落ちて、海辺の道を走るときは、いつもこの曲が頭になります。

どちらのシチュエーションも一人で運転していなくてはなりません。

天気は雨でも、晴れでも大丈夫です。

関東の道路では、なかなか鳴りません。

秋口の夕暮れの雷電国道や、暑寒国道からオロロンラインに入ると100%鳴ります。

この道以上に、この歌が鳴る道を知りません。

必ず鳴るんで、少しセンチメンタルになります。

でも、この道を走る時間は、幸福でもあります。

もし、北海道に来られることがあるのなら、夕暮れのこの道を走ってみてください。

多分、鳴ると思います。

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2009/03/17

烏城(からすじょう)

烏城(からすじょう)
烏城(からすじょう)
また松本に来ている。
外套がいらないほど暖かい。

外套?
コートだよコート。
決して若い奴の前で言ってはならないな。発したら最期、確実にオッサ〜ン扱いされちまうのは明らかだ。

春めくとは、今日のような日の事をいうんだろう。陽射しも強いので、車中も暖房ではなく、エアコンにしていた。

春めく?
なんかコレも若い奴の前で言ってはならないような気がするぞ。
いやいやコンニャロ〜め。奴等の語彙が足らないだけなのに、なんで、オッサンくさいとか、昭和風味などとバカにされにゃならんのだ?
オバカブームなんていい加減にしてくんねぇかな。無知は恥じるもんだ。どう間違っても、誇るもんじゃないだろ。
と、グチグチ考えるのは、無知云々の前に、確実にオッサンくさいのでやめておく。

城内の案内によると、国内に200近くもあった城郭だが、明治維新と戦災を逃れた天守閣は、今日12ヶ所しかないとの事。松本城の天守閣はその一つで、国宝に指定されている。

姫路城が「白鷺城」と呼ばれるのに対し、松本城は「烏城」(からすじょう)と呼ばれているらしい。因みに、以前行った岡山城も同じく「烏城」と書くが、岡山城は『うじょう』と読むんだと。

円高だというのに、観光バスから欧米人の観光客が多数吐き出されていた。熊本城では韓国人の観光客が多い事に驚いたが、ここ松本では、欧米系の家族連れが大半のようだ。
やはり信州と九州、アクセスルートによって、外国人観光客の国も変わってくるんだろう。

しかし、彼らはこんな日本の城を見てどう思うのだろう?

平時の世、江戸時代に築城されたものは、その役割は政庁であるからともかく、安土桃山時代など戦時に造られたものが、なんで木造なんだ?
木造だよ。火災を逃れ、防御を固めるには、やはりヨーロッパの城のように、石造りだよなぁ。

ここまで綺麗に石垣を積む技術があるなら、天守閣も石で組もうという発想があってもよさそうだと思うのだが…。

こうして振り返ってみると、ここ数年間で、かなりの数の城を見て回ってる。実際、面倒くさくてエントリを書いてない城も多数ある。
事前こうなる事がわかってたら、本気で『城blog』とかにしたのに。
まったく城ヲタではないのだが…。

さて、蕎麦でも喰うか。

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2009/03/13

タマラン道

タマラン道
愛知県北部に来ている。
今日の濃尾平野は雨。雲は薄く空は明るいが、雨足はかなり強い。

この周辺に来ると、いつも思う。
おそらく日本で一番、運転につまらない地域だと。

のっぺりとした平野に、ダラダラと、本当にダラダラと市街地が続く。道の際まで低層の住宅が迫り、意味の無い植栽で区切られた歩道。道幅も狭く車両も多い。

素敵なコーナーもなければ、ときめくアップダウンもない。

こんな道が一番退屈だ。
前方のテールランプだけを見つめ、ただ漫然と流されて行くだけ。
退屈で退屈で反吐が出そうになる。

この地域が、世界の自動車産業の総本山である事は、皮肉ではないのか。

朝里峠。
ダムの上の高速コーナー。
ナトリウム灯に光る、オレンジのセンターライン。
スーパーチャージャーのエンジン音をかきけす、爆音のユーロビート。

160㎞オーバーのスピン。

川底に落ちたアルミホイールは、今も雪に埋もれているだろう。

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2009/02/21

この景色に見覚えある方

この景色に見覚えある方
この景色に見覚えある方
この景色に見覚えある方
御一報を。

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2009/02/13

仙台といえば牛タンなんだろうが…

仙台といえば牛タンなんだろうが…

仙台に来たので牛タンを喰う。

新幹線の改札の横に、牛タン通りなるものがあり、行列が出来てた『利久』の仙台駅店。
どうやら有名店みたいです。

注文したのは、一番人気の極(きわみ)タン焼定食。

これで2,000円ってどうかなぁ?
確かに厚切りでも柔らかく、美味しいのは、美味しいのですが…。
それは他の焼肉屋とかで食べる牛タンと比べての話なんだよなぁ。

そもそも、「牛タンや麦トロ飯が大好物!」

「好きで好きでたまらない!」

「暫く牛タン喰ってないから、夢に出てきた」

「マジで牛タンだけあれば、生きてゆけるわ」

「バレンタインデーには牛タンの詰め合わせをよこせ」

「No 牛タン No life! もう牛タンの無い人生なんて想像できないわ」

「牛タンって響きだけで、躰の芯が熱くなる」

って奴は日本にどんだけいるんだろう?

焼肉屋にしたって、網が汚れる前に、ちょこっとつまむぐらいで、タン塩をメインにする奴なんて見たことがないし。結局、食材としての牛タン自身に、そこまでの訴求力が無いんじゃないかな。

ただ、これがタンシチューとかになると、ちょっと変わってくるんだろうけど。これもシチューの旨さに依存しての事だと思う。

ロースやカルビなんかは、産地や個体のブランドによって味が違うのは理解できるけど、タンについては正直よくわからん。俺の中では、牛タンは牛スジと同様に、歯触りの食材に分類されてたりするのだが、それは俺がバカ舌だからなのかもしれない。

また、仙台で取り扱う牛タンの大半は輸入ものであり、超高級牛である仙台牛のタンに巡り会える事はまずないはず。そんなわけで、あくまで仙台の牛タンというのは、麦トロとテールスープと牛タンの『組み合わせ』ってだけじゃないかという話しもあったり...。
#スイマセン、仙台方面の方。

というわけで、仙台の土産は『萩の月だっ!』とお思いでしょうけど、実はこの「萩の月」を作っている会社の「三全」も、もともと仙台の会社じゃないんですよね。発祥は宮城県の南にある蔵王町ってところ...。

残るは、「笹蒲鉾」ってことになるんですが、実はこの笹かまぼこも...。

そう、笹蒲鉾は仙台藩つまり、宮城県の名産であって、仙台市の名産ではないのです。

最近は食品偽装問題もあり、産地や名産の表示が厳しくなってきているのはご存じの通り。
本社や工場が地域に所在していないと名産と謳えなくなってきています、ハイ。

仙台は好きな町の一つです。

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2009/01/30

【久留米】大砲ラーメン本店

【久留米】大砲ラーメン

久留米に来たので、大砲ラーメン本店に寄った。

アッサリとコッテリの二種類ある。本来はコッテリを選びたかったが、昼食後すぐに客と会わなきゃならんので、アッサリの方をオーダーする。

旨い!

が、アッサリでも十分臭い…。

昨晩は博多在住の友人夫妻と久しぶりに会い、もつ鍋をたらふくご馳走になった。そのニンニク臭と深酒による酒臭さが抜けないうちに、トンコツ臭をブレンド。極めつけに、加齢臭とタバコのヤニを更に重ねるGoldBlend。

 歩く公害、人間スカンク、口内カメムシ。

これなら先日の新幹線ジイチャンにも負けないぞ!

と、リベンジに燃え福岡空港に向かう。

(なんのリベンジだ?)

隣の席が、可愛い女の子ではありませんように!と祈りながら飛行機に乗り込む。

ウシシシ。w

オイラの隣に座るラッキーなオジサマ。
短いフライトではありますが、どうぞ快適な空の旅を、おくつろぎ下さい。






Nooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!!

隣席のオッサン。

すごい歯槽膿漏。

完敗でした。

orz...。

 

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2009/01/29

【筒井】洞ヶ峠を決め込む

筒井

ここは奈良県の大和郡山市の筒井という町。
仕事で偶然通りかかったので、ちょっと車を止めて写真を一枚。

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何?筒井って?

筒井といえば筒井康隆に決まっるだろう!と、ツツイスト気味な俺。

筒井であれば何でもいいのか?

単に地名と作家の苗字が一緒ってだけで、わざわざ写真まで撮るのか?

そこまで筒井ヲタなわけはない。(笑)

ココは「日和見順慶」こと筒井順慶の本拠地だ。

筒井順慶は、大和国(奈良県)の戦国武将であったが、松永久秀によって一時、この地を追われる。
その後、織田信長側の明智光秀の配下に入り、筒井城を取り返し、以降この地を治める事となった。

 「日和見順慶」などという不名誉なあだ名が付いたのは、本能寺の変の時の故事に由来する。

織田信長を謀反で殺した明智光秀と、高松城(岡山)を水攻めしていた秀吉が直ぐに毛利と講和を結び、「中国大返し」よろしく6日で京都まで軍を率いて戻り、京都の山崎で光秀と対峙することになる。

これが所謂「天下分け目の天王山」の山崎の戦い。

その時筒井順慶は秀吉側、光秀側の双方から援軍を要請されていた。
勿論、順慶は秀吉、光秀どちらの側に付くべきか逡巡することとなる。どちら側につくかで、お家の末路が決まるのは明らかだ。当初、順慶は光秀側に僅かばかりの兵を送り、山崎の南側にある洞ヶ峠(ほらがとうげ)まで軍勢を進めるも、そこで進軍をやめてしまう。両軍の布陣がよく見える高台から、両軍の動向を見守り続けた。明智光秀の再三にわたる援軍要請にも、筒井順慶は動こうとしない。

 そ し て、そ の 時 歴 史 が 動 い た byNHK

 秀吉側の優勢が明らかになったタイミングで、ようやく重い腰を上げ、初めて筒井順慶は秀吉側に援付くことを決定したのだ。

 「日和見」つまり、勝負に参戦せず観望し、勝負の趨勢がはっきりした後で、勝ち馬に乗るように有利な側の見方につく態度を、【洞ヶ峠を決め込む】というが、これがその慣用句の語源でもある。

 これはあくまでも伝説で、史実ではないとの事。実際は筒井順慶は混乱する大和国の諸侯の動向を見守らざるを得ず、居城である大和郡山城で籠城していたらしい。

 作家の筒井康隆は筒井順慶の子孫だと自称しているが、SF作家の言うことなので、真偽の程はわかりません。なんせ、筒井一族は徳川により絶家させられたので、子孫を名乗るものが沢山いるらしいので...。

 しかし、筒井康隆が「筒井順慶 (新潮文庫) 」という小説を書き、先祖の日和見の汚名を晴らそうといるのは事実です。

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2009/01/28

レイクビュー

琵琶湖

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